2008.12.22 Mon
10年前
その日、私は朝から家の掃除をしていました。
前日は友人と長電話をしていて、
おそらく寝たのは夜中の3時半を過ぎていたにも関らず、
翌日は朝の6時か7時には起きていたと思います。
眠いとか辛いとかはありませんでした。
ただ、寝ている時間が無償にもったいなく感じた。
でも、早起きしたものの特にすることもなく、
家中掃除機をかけました。
私のせめてもの家族へのお礼のつもりです。
季節は年末、大掃除の時期です。
掃除機をかけ終わった私は、
何か母を手伝いたくて、冷蔵庫の掃除をしました。
何か気の利いた会話をしたかったけれど、
何を言ったらいいのかわからない。
母も何か特に話しかけてくるわけでもない。
淡々と洗濯や掃除をしていました。
もうすぐ時間です。
私は近所のポストへ両親宛の手紙を投函しました。
恐らく1?2日後には家に届くでしょう。
それから家に戻り、母、父、妹に
用意をしていたプレゼントを渡しました。
すると、思いがけず、家族からも手紙をもらいました。
そして、とうとう時間が来ました。
私は今からアメリカに行くのです。
長年夢見ていた留学をいよいよ実現させるのです。
ずっと夢見ていたことを実現させる時というのは、
こんなにも寂しくて、不安で、心細いものなのでしょうか。
よく「希望と不安が半分ずつ」とか言いますが、
私は不安が100%。
それだけでした。
空港に着くと、友達が集まってくれていました。
高2のクラスの友達、高3のクラスの友達、
ハンドボール部の友達、
それから学生時代のバイトの友達など、
15人くらいいたように思います。
空港に着く前までは
寂しくて泣いてしまうかもと思っていましたが、
せっかく来てくれた友達に
まんべんなく話しかけないと、という思いで、
こっちのグループに話しかけ、
次にあっちに話しかけ、その合間に家族にも話しかけ…
と私なりに気を遣っているうちに、
あっと言う間に時間が来ました。
搭乗の最終案内のアナウンスが聞こえています。
もう行かなければいけません。
みんなに別れを告げ、
意外と悲しくないもんだなと思いながら、
エスカレーターに乗り、手を振り続けました。
母が追いかけてきます。
私は笑顔で大きく手を振りました。
そして、母の姿が視界の上方へと消えたその瞬間、
不意に涙があふれました。
後に、私がエスカレーターに乗ってから母も泣いていた、
と友人に聞きました。
しかし意外なことに、
私が、日本を離れて寂しくて泣いたのは
先にも後にもこの一瞬だけです。
家を出る間際にもらった家族からの手紙を
飛行機の中で何度も読みました。
当時、なんとなく恥ずかしくて、
父とは全く留学の話をしていませんでした。
父も何も私に言ってこないので、
私がアメリカに行くことを何とも思っていないのかな
とも思っていました。
そんな父の手紙にはこう書いてありました。
「辛くなったらいつでも帰っておいで」
この言葉が今でも忘れられません。
それから、約17時間後。
私はニューヨークのラ・ガーディア空港に降り立ちました。
マンハッタンに向かうタクシーの中から見た景色は
今でも脳裏にしっかりと焼きついています。
民家の窓辺に飾られたクリスマスのイルミネーション。
そして、暗闇に浮かび上がる摩天楼。
知り合いもいない、英語もわからない、ダンスもほとんどできない、
本当に何もない私でしたが、
日本を出発する前まで私を100%占めていた不安は
なぜか消え去っていました。
だからと言って、ニューヨークに来たことに
ワクワクしていた訳ではない。
家族や友達と離れて寂しかったわけでもない。
ただ、私は今からここで一人でやっていくのだ、と
何度も自分に言い聞かせていた。
さもなければ、湧き上がる不安に押しつぶされてしまいそうだと、
無意識のうちに感じていたのかもしれない。
そう何度も心の中で思いながら
私は前方に浮かび上がるマンハッタンを眺めていました。
こうして、私のニューヨーク生活の幕が明けました。
今からちょうど10年前の、12月20日のことです。
前日は友人と長電話をしていて、
おそらく寝たのは夜中の3時半を過ぎていたにも関らず、
翌日は朝の6時か7時には起きていたと思います。
眠いとか辛いとかはありませんでした。
ただ、寝ている時間が無償にもったいなく感じた。
でも、早起きしたものの特にすることもなく、
家中掃除機をかけました。
私のせめてもの家族へのお礼のつもりです。
季節は年末、大掃除の時期です。
掃除機をかけ終わった私は、
何か母を手伝いたくて、冷蔵庫の掃除をしました。
何か気の利いた会話をしたかったけれど、
何を言ったらいいのかわからない。
母も何か特に話しかけてくるわけでもない。
淡々と洗濯や掃除をしていました。
もうすぐ時間です。
私は近所のポストへ両親宛の手紙を投函しました。
恐らく1?2日後には家に届くでしょう。
それから家に戻り、母、父、妹に
用意をしていたプレゼントを渡しました。
すると、思いがけず、家族からも手紙をもらいました。
そして、とうとう時間が来ました。
私は今からアメリカに行くのです。
長年夢見ていた留学をいよいよ実現させるのです。
ずっと夢見ていたことを実現させる時というのは、
こんなにも寂しくて、不安で、心細いものなのでしょうか。
よく「希望と不安が半分ずつ」とか言いますが、
私は不安が100%。
それだけでした。
空港に着くと、友達が集まってくれていました。
高2のクラスの友達、高3のクラスの友達、
ハンドボール部の友達、
それから学生時代のバイトの友達など、
15人くらいいたように思います。
空港に着く前までは
寂しくて泣いてしまうかもと思っていましたが、
せっかく来てくれた友達に
まんべんなく話しかけないと、という思いで、
こっちのグループに話しかけ、
次にあっちに話しかけ、その合間に家族にも話しかけ…
と私なりに気を遣っているうちに、
あっと言う間に時間が来ました。
搭乗の最終案内のアナウンスが聞こえています。
もう行かなければいけません。
みんなに別れを告げ、
意外と悲しくないもんだなと思いながら、
エスカレーターに乗り、手を振り続けました。
母が追いかけてきます。
私は笑顔で大きく手を振りました。
そして、母の姿が視界の上方へと消えたその瞬間、
不意に涙があふれました。
後に、私がエスカレーターに乗ってから母も泣いていた、
と友人に聞きました。
しかし意外なことに、
私が、日本を離れて寂しくて泣いたのは
先にも後にもこの一瞬だけです。
家を出る間際にもらった家族からの手紙を
飛行機の中で何度も読みました。
当時、なんとなく恥ずかしくて、
父とは全く留学の話をしていませんでした。
父も何も私に言ってこないので、
私がアメリカに行くことを何とも思っていないのかな
とも思っていました。
そんな父の手紙にはこう書いてありました。
「辛くなったらいつでも帰っておいで」
この言葉が今でも忘れられません。
それから、約17時間後。
私はニューヨークのラ・ガーディア空港に降り立ちました。
マンハッタンに向かうタクシーの中から見た景色は
今でも脳裏にしっかりと焼きついています。
民家の窓辺に飾られたクリスマスのイルミネーション。
そして、暗闇に浮かび上がる摩天楼。
知り合いもいない、英語もわからない、ダンスもほとんどできない、
本当に何もない私でしたが、
日本を出発する前まで私を100%占めていた不安は
なぜか消え去っていました。
だからと言って、ニューヨークに来たことに
ワクワクしていた訳ではない。
家族や友達と離れて寂しかったわけでもない。
ただ、私は今からここで一人でやっていくのだ、と
何度も自分に言い聞かせていた。
さもなければ、湧き上がる不安に押しつぶされてしまいそうだと、
無意識のうちに感じていたのかもしれない。
そう何度も心の中で思いながら
私は前方に浮かび上がるマンハッタンを眺めていました。
こうして、私のニューヨーク生活の幕が明けました。
今からちょうど10年前の、12月20日のことです。
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